「マルクスの唯物論ってなに?難し過ぎてよくわからない!」
わかりやすくいうと
「二次元(アニメ)ゆるすまじ」
です。
唯物論と観念論の違い
唯物論・・・目に見える(ものを信じる)
観念論・・・目に見えない(ものを信じる)
唯物論
信じるのは自分の目で確認できるものだけ。
霊とか、信じない。
すでに証明されたものだけ、習った事だけを信じる考え方です。
正しいと信じていいのは、自分が見えるものだけです。
今の先進国で、根付いている考え方といえます。
実際に、本当にありました、と目で見て確認する、裏取りをする現実的な思考です。
心や精神は、特別なものでもなんでもなく、ただの脳の作用として、切り捨てます。
「それは、ただの絵だ」
二次元(アニメ)は目に見えはしますが、現実には存在しませんので、信じません。
信じている人間は間違いであるという結論に至ります。
観念論
映画マトリックスのような解釈です。
超能力やスピリチュアルな、人には扱えないふしぎな力を信じる考え方です。
今、見えているのは、脳(精神)が、解釈している世界である。
もしかしたら、本当はまったくちがう世界かもしれない、
ただ、それを証明することはできない。
なぜなら、みんなあなたと同じ状態だから。
例えば、宇宙の誕生や、恐竜の絶滅理由などです。
推測の域を出ない、確認したくてもできないことが観念論の対象となります。
視野が広いのは、観念論のほうです。
「先進国に根付いていることを見るに、唯物論のほうが、信頼度は高いし、まともなんじゃないか?」
たしかに、観念論は原則証明ができない、生き証人もいない、いってしまえば妄想なわけです。
ただ、観念論をすべて蹴ってもいいものか?というと、もしかしたらこうなんじゃないか?という発想そのものは拾い上げた方がいいのではないかと。
「今、自分のいる世界がすべてじゃない。視野を外に向ける。」
唯物論は、見えないもの、証明されていないものは、それ以上関わろうとしないために、視野が狭くなりがちなのが欠点です。
観念論は唯物論の相反する存在ではありますが、唯物論が正しくて観念論が間違いか?
と問われますと、はいと即答するのは難しいです。
みんなが確認できるため、唯物論のほうが正しい度合いが大きいですが、証明できないのはゼッタイにだめ!という態度は、頑固で融通が利かない印象を受けてしまいます。
唯物論と無神論の違い
「あなたは、神を信じる人間ですか?」
- 信じない→唯物論
- 基本信じないけど徹底していない→無神論
唯物論は無神論とはちょっとちがいます。
無神論は、基本は神様を信じていませんが、時にはお参りしたり祈願したりします。
ですから、日本は、唯物論には徹していないといえます。
一方で、唯物論は徹底しています。
唯物論とは、ただ、物があるという理論です。
この世はみえるもの(物)だけでできています。
神やおばけ、スピリチュアル的なもの(みえないもの)は存在しません。
ですから、それにともなう行い(お参りや祈願)は意味ないです。
ばかばかしいです。
「こころ」というものもありません。
ただ脳から発している反応のひとつにすぎない、思いやりも嘘です。
だからみえないものを信じさせる宗教は間違いで、詐欺だという考え方です。
人間もただの物で、宗教を信じる人間はわるいやつです。
だから宗教を信じる人間を正す(弾圧する)行いは正しいのだと唯物論では解釈します。
たしかに、宗教=詐欺というイメージは日本でも一般的に広まっています。
たまに詐欺事件として取り沙汰されもしますよね。
ただ、宗教を信仰しているというだけで間違いのレッテルを貼ったうえに、存在を全否定して
なくそうとする考えはどうでしょうか。
発想が極端すぎると思いませんか。
徹底すると何事もよい結果をうまないです。
日本のように無神論で、多少ゆるく関わるぐらいがバランスがとれていいのかもしれません。
唯物論は完全なのか?
いいえ、唯物論は不完全です。
あの有名なアインシュタインが、
「みえないものも、物と同じく存在しているし、物と交換することもできる。
ゼロではない」
と証明しました。
特殊相対性理論のことです。
ここでいいますと、みえないものはエネルギーを指します。
式によれば、物が消えるとエネルギーが生まれ、エネルギーが消えると、物が生まれることを意味します。
みえないもの(エネルギー)は目で見て確認することはできません。
無です。
ところが、無から物が生まれるということをアインシュタインは発見しました。
この発想は唯物論にはありません。
「みえないものは存在する」と人が信じるのは、物が存在するからだ。
みえないものだけでは存在していない。
この考え方が唯物論です。
みえないものは全否定します。
ところがアインシュタインは存在していると主張したのです。
特殊相対性理論は、いまや誰もが聞いた事のある常識ですが、長い間仮説であったことをふまえますと、観念論に近い考え方といえます。
マルクスの唯物論とは?
書に著したのは、資本論です。
資本主義(唯物論)に反対しています。
資本論は当初はそれほど注目されていませんでしたが、やがて世界中に出回り、日本でもベストセラーとなりました。
マルクスは江戸時代末期の人です。
彼の主張には、当時の時代背景が関係しています。
当時広まっていたのは神を信じる考え方です。
マルクスは、絶対者を、神から人間にしようとしました。
ようするに、神=権力者(国家・資本家)に対して人間(労働者)に味方したのです。
神を信じるというのは観念論ですが、マルクスは神を信じない立場を取りました。
神を信じない=唯物論ですが、さらに唯物論を資本主義社会になぞらえました。
資本主義とはカネがすべて。
物質→つまり、お金です。
唯物論→カネ中心の考え方に反対しました。
資本主義でお金をいっぱい持っている人といえば商売人、資本家です。
お金を生み出すには労働者が必要です。
労働者は、お金を生み出すすばらしい能力を持っています。
それにしては労働者の扱いが良くないですよね。
資本家だけがぶくぶく肥えて、お金の力で国とも組んで怪しげな関係もつくることができます。
資本主義の問題は、労働者の扱いがどんどんひどくなり、不平等が生まれる点にあります。
マルクス自身、生涯を通じてお金に困っていました。
ただ、労働者としてこきつかわれてではなく、元々、お金の使い方に計画性がみられないところがあったのが一因です。
お金の無心では、主にずっと親友エンゲルスに助けられていました。
エンゲルスは資本家(工場経営者)でしたので、反対していたはずの資本家に助けられていたのです。
ツッコミ所がありますがそれはそれとして。
マルクスの妻イェニーも貴族の娘ですし、お金を持っている人になにかと助けられている印象です。
唯物論の考えは日本にも広まって、神なんているわけがないという考えの人が目立つのもマルクスが影響していると一説ではいわれています。
マルクスは共産主義の礎を築いた人といわれています。
日本では根付いていませんが、となりの中国などは現時点では共産主義です。
要約
唯物論は科学的な発想に近いです。
正式に証明ができない対象は信じない考え方です。
みえないものは全否定する考え方が唯物論です。
そのとおりだといえる部分もありますが、なにからなにまで否定するのは、生きるのが窮屈になるかもしれません。
「愛情(目で確認できないもの)はお金(目で確認できるもの)で買えますか?」
買えるというよりも、まず愛があるからお金を手放せる、ではないかと思います。
好きだから気に入ったから買える、趣味にお金をつぎこむことといっしょです。
愛があっても、お金がなければ、表現することができないです。
目の前に表して見せることができないです。
いくらきもちがあっても技術、あるいは道具がなければ相手に具体的に伝えることができません。
アインシュタインの主張した通り、唯物論も観念論も両方、存在しているといえるのではないでしょうか。