プラザ合意をわかりやすく! 学生さん向け!

「プラザ合意ってなんなの?
難しくてよくわからない。
わかりやすく説明してほしい!」

ひとことでいえば日本バブルのきっかけと いわれている出来事です。

※わかりやすくを重視しているため、こまかい点は省略しています。

おおざっぱな内容を知りたい人や、学生さん向けです。

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なぜプラザ合意といわれるの?

会議の開かれた場所がニューヨークの「プラザホテル」だったからです。

「プラザホテルとはどんなホテル?」

マンハッタンにある超最上級ホテルです。

1988年には、あの現ドナルド・トランプ大統領が購入したこともあります。
後に他の人に売っています。

各国の偉い方々が集まるだけあり、 いろんな場面で目立っています。

暗殺未遂事件の場所になったり、 映画のシーンに出たり したことが実際にあります。

プラザ合意の内容をわかりやすく!

おおまかな内容
「アメリカの株価暴落を防ぐため、 世界が協力して解決する取り決め。
1985年(昭和60年)9月22日に行われた」

イギリス・西ドイツ・フランス・日本の国々が、外国為替市場(違う通貨同士で取引する場)に入って株価を調整することが決まりました。

プラザ合意後、国同士協力して一斉にドル売りを行います。

アメリカのドルが高騰しちゃってるから下げるぜ
ドル安にするぜ。

合意前→1ドル240円台
合意後→1ドル230円台
その後も止まらない
215円
200円割れ



2年後→1ドル150円台

「なぜドル安にする必要があったの?」

当時のアメリカ

ドル高で景気回復へ向かっていたのですが、 借金まみれでした。

財政も赤字だし貿易も赤字です。
姿勢も守りに入っていて、動きが鈍い状態です。

対して、アメリカは金融緩和(低金利)により なんとかいったん、景気は持ち直しました。

ところが、貿易赤字は悪化が止まりません。
そして、金利低下したので、ドルに旨味がない状態です。
このままでは、売りに出る投資家が増えるのでは?と不安な状況にありました。

アメリカは世界恐慌、ドル・ショックなど、 株価暴落を引き起こした大やらかしの過去が数々あります。

またやられたら、たまらないです。
だから先手を打ちました。

(結局、止めることができず、 1987年ブラックマンデーが起きます)。

(さらに1985年から、23年後の2008年に リーマン・ショックをやらかすのですが、 それはまたべつのおはなし)。

外国為替市場に介入して、ドル安に方向展開させるねらいです。

当時の出席者リスト

  • アメリカ財務長官ジェイムズ・ベイカー
  • イギリス蔵相ナイジェル・ローソン
  • 西ドイツ財務相ゲルハルト・シュトルテンベルク
  • フランス経済財政相ピエール・ベレゴヴォワ
  • 竹下登蔵相

お金の担当者が集まりました。

「肝心の会議の中身は?」

事前に根回ししていたので、わずか20分で終わりました。
公式として正式に認定するために行っただけでした。
話がこじれて長引くことはなく、あっさりとしたものです。

「なんで日本は合意した?」

アメリカをなだめるためです。

アメリカの貿易赤字がふくらんでいた主な原因は、 日本と取引していたからです。

日本のせいでー!むkっきー!

と怒り心頭。

関係が壊れるのを心配して合意することを決めました。

しかし、このプラザ合意後、 転じて円高になったことで 今度は日本が苦しめられることとなってしまいます。

「ルーブル合意してました」。

じつは、1985年から2年後の、1987年2月22日には、 加速したドル安にブレーキをかけるため、 ルーブル合意を行っていました。

しかしプラザと比べて効果はいまいちでした。
円安になったのは、一時だけでした。
影の薄い合意です。
例えるなら、ペリーとハリスぐらいの違いです。

効果がいまいちだった原因として、国同士の連携がとれていなかったことが挙げられます。

各国の(というか一つの国)行動がばらばらでした。
西ドイツが自国の利益を優先して、勝手に金利の引き締めを行いました。
それで思ったような効果が出なかったと考えられています。

(西ドイツも日本と同じような立場で、ちがうのはアメリカに逆らったところでしょうか)。

参加国
アメリカ
イギリス
西ドイツ
フランス
日本
+
イタリア←NEW
カナダ←NEW

ルーブル合意後も、アメリカ不況の解決に至らないどころか、日本まで不況のままです。

そこで日本国がとった対策とは・・・・。

※下につづきます。

プラザ合意が日本バブルのきっかけである理由とは?

日本の政策が内向きになったからです。

「プラザ合意したあと、日本はどう変わった?」

ドル安になったことで今度は日本が困ったことになりました。円高です
結局は日本が被害を受けるかたちになったわけです。

合意前の日本→アメリカと相手して、貿易黒字でうはうは。
合意後の日本→今度は貿易赤字に転落!

どうする!?

外がダメなら中です。

政府<海外相手でもうかるのがダメなら、国内で景気回復しよう!

公共投資をどんどんやります。
(公共事業)
※これはアメリカの要請があったのも一因です。

日銀は金融緩和を行います。
※ルーブル合意ですることが決まったのも背景にあります。

金利引き下げを長い間、積極的に行いました。
年に5度もするほどです。

金融緩和で低金利にすることで、 国内でお金の動きを活発にするのがねらいです。

1985年:5%
1987年:2.5%

「低金利って何がいいの?」

企業や個人が負担なくお金を借りれることがメリットです。
低金利ならば、返すお金が少なくてすみ、ラクです。
借金とはいえ、たくさんお金が手に入れば、いろんなことができます。

  • 企業→資金調達が簡単になる。
  • 個人→住宅ローンなどを気軽に使える。

銀行がどんどん貸していって、 お金の循環が良くなり、 国のねらい通り景気は回復しました。

一方で、借りたお金が余ります。

当時の人々「そうだ。不動産や株式に使おう。」

安く買える!どんどん買ったれ買ったれ!(投資目的)

不動産・株・土地の価格がすごい勢いで跳ね上がる。

景気回復

バブル!

日本を超えて、海外不動産の買い漁りもありました。

当時テレビや雑誌などで行われた派手な宣伝も、 バブル過熱に大きく影響したと考えられています。

また土地ころがしがよく行われていました。
土地を安く仕入れて高く売るをくりかえすことで、大儲けします。
いわゆる転売です。

当時はまだまだ価値が上がる!と思われていた 状況でしたから、通用した手法です。
(正確には詐欺に近いです。原野商法です。 価値の無い土地を、知識のない人に騙して高く買わせていたのが実態です。バブルと絡めて売っていました)。

絶頂期は1989年。

その後急落しました。

プラザ合意によって大損した日本が 打ち出した内部政策が バブルをつくる流れへと入りました。

「で。なんでバブル崩壊したの?」

政府<やりすぎた・・・。熱さまそう

土地取引を制限・金融引き締め
(ダメ!もうやめて!)

バブルも最高に湧いた1989年から低金利から高金利へ引き上げ
2.5%が一気に6%台まで!

さらに、バブル対策をとったのもあり、 90年代に入ると一転して株価が大きく下落しました。

バブル対策とは?

不動産の総量規制
(不動産をあんまり貸さないようにしてね)

土地に関する税を新たにつくる・増やす
など

不動産・土地ブーム終わり

価値がなくなる。

バブル崩壊

不良債権がたくさん残る!

中には借金残す人も。

バブルは国の手により始まり国の手により終わりました。

要約

プラザ合意とは、当時のアメリカ ドル高→ドル安にするために行われた 5か国の公式な取り決め

結果、日本は円安から円高へ

日本不況

打開策に国が打ち出した低金利

国内でお金の巡りがよくなる

特に不動産・株・土地が人気。価値が爆上がり

バブル!

景気に影響を与えるための国同士の合意は これまでも行なわれていました。
プラザ合意もそのひとつです。

他には、

1971年12月→スミソニアン合意

ワシントンのスミソニアン博物館で。
主要国通貨の調整をして通貨混乱を落ち着かせるために行われました。

突然、予告もなくアメリカがやめる!と言い出して世界中が慌てたのがきっかけです。
(ニクソン・ショック)

「やめるって何を?」

ドルの金交換です。
当時、金と交換できる方法がドルだけでした。
金とドルを交換していった結果、金が減り過ぎて交換できない事態を招きました。

1985年→プラザ合意

アメリカのドル高をドル安に変えるために 行われました。
場所はニューヨークのプラザホテルです。
イギリス・西ドイツ・フランス・日本が参加しています。

「はじまりは、いつもアメリカ?」

アメリカは今も昔も世界経済に、 影響をよくもわるくも与える存在です。

最近では世界恐慌よりリーマン・ショックのほうが 身近に感じるかもしれません。

今も為替レートは揺れ動きます。
アメリカと日本との貿易関係もいまだ不安定です。

私達の生活に直結しますので、 株価大暴落はもう起こして欲しくないものです。
好景気を望みたいです。

しかし、いつの時代も投資家しか 得をしていない気がします。
(もちろん損をした人も大勢います)。
零細企業がいちいち振り回される印象です。